外国カバーを整理していた時に1通のカバーが目に留まりました。
それがコレ


日本切手関係なしの小汚いスタンプレスカバーで興味なし!という方も多い事でしょう。
なので、興味が無い方はスルーして下さい。
で、続き、
アメリカから日本宛の2セントの不足料スタンプレスカバーなのですが、なぜ、ミナカタが目を留めたのかというと

「USS CINCINNATI」印があったからです。軍艦差出じゃん、日本・東京宛というよりも日本人宛、気になりません?ミナカタだけ💦
「USS CINCINNATI」というのは、アメリカ海軍のシンシナティという防護巡洋艦になります。
消印が1898年というところから、複数艦あるシンシナティの中で C-7になります。
消印の時系列は

消印が甘い為、局名が不鮮明なのですが1898年8月24日の引き受け、「VA」からバージニア州であることから「FOR」が頭に付く局を調べてみると「FORT BELVOIR」とヒットしてくるのですが、右側の「MCNROE?」が気になる。「FORT BELVOIR」には陸軍基地があるんですけど、調べ方が悪いのでしょう💦

これも消印が甘く恐らく「PHILADELPHIA(フィラデルフィア)」かな?と思うのですが、翌日の1898年8月25日に「TRANSIT(トランジット)」の文字があることから中継印

東海岸から西海岸へ4日後の1898年8月29日にサンフランシスコに到着


太平洋を24日間かけて1898年9月22日(明治31年9月22日)東京に到着してます。
単にシンシナティに載って東海岸から太平洋を渡って日本に届いた不足料カバーじゃん!と着地しそうなんですが、もう少し深堀りしてみると、、、
このシンシナティなんですが、ウキペディアには「1898年5月末にシンシナティはオーバーホールのため入渠(にゅうきょ)し、8月に占領任務のためカリブ海に戻る」と掲載されており、また、Naval History and Heritage CommandThe Sextant のUSS Cincinnati (C-7)ページにも「At the close of May 1898, USS Cincinnati (C-7) came north for repairs, returning to the Caribbean for occupation duty in August. 」と掲載されていることから1898年8月にカリブ海へ向かう途中にこのカバーが載っていたことが推測されます。
いずれのサイトにも、どこで修理したのは記載されていないこともあり、差出人の住所がニューヨークということから、シンシナティを建造されたニューヨーク海軍工廠で修理されたと推測されます。
この差出人名、中々の達筆で、、、読めん💦
日本人と思われるんですが、、、
推測域の仮設ですが、ニューヨーク海軍工廠からカリブ海へ向かう途中のシンシナティで、このカバーが差し出され、ヴァージニア州のどこかの港で引揚げされ(1898年当時、ノーフォーク海軍基地は無いです)引受後、フィラデルフィアからサンフランシスコへ、そして日本に到着ということなんですが、さて、ニューヨーク海軍工廠からカリブ海へ向かう途中で差し出すことが出来るのもスゴイと思うんですが、この受取人も気になりました。

長谷川菊太郎とは?どんな人なんだろう?Google先生に聞いたら教えてくれるだろうか?
ダメ元で聞いてみました。
すると、何やらどえらいサイト?がヒットしてきました。
なんかスゴイ人???「日本研究のための歴史情報」に掲載されているなんて💦
愛知県士族の方らしく、明治31年に東京帝国大学法学部を卒業し弁護士になり、明治34年に判事に、最終的には福岡地方裁判所長に就いてた方らしいです。
詳しくは『人事興信録』データベース長谷川菊太郞 でどーぞ。
と、いうことは、このカバーは長谷川菊太郎が弁護士をしていた時に送られたカバーということで、不足料金も払わされたことでしょう。
時代背景を妄想しながら、仮説を立てながら謎解きするのは、やはり面白い。久しぶりに楽しいカバーに出会えました。
消印が甘く、局名を調べきれて無いのは、、、💦
もっと、深掘り出来る部分もあるかと思いますけど、次の持ち主になる方へ任せることにしましょう
このカバー、興味あります?無いようでしたら里帰りさせようかな?とも
PS
仮説に誤認解釈している部分があるかも?なんで💦
それがコレ


日本切手関係なしの小汚いスタンプレスカバーで興味なし!という方も多い事でしょう。
なので、興味が無い方はスルーして下さい。
で、続き、
アメリカから日本宛の2セントの不足料スタンプレスカバーなのですが、なぜ、ミナカタが目を留めたのかというと

「USS CINCINNATI」印があったからです。軍艦差出じゃん、日本・東京宛というよりも日本人宛、気になりません?ミナカタだけ💦
「USS CINCINNATI」というのは、アメリカ海軍のシンシナティという防護巡洋艦になります。
消印が1898年というところから、複数艦あるシンシナティの中で C-7になります。
消印の時系列は

消印が甘い為、局名が不鮮明なのですが1898年8月24日の引き受け、「VA」からバージニア州であることから「FOR」が頭に付く局を調べてみると「FORT BELVOIR」とヒットしてくるのですが、右側の「MCNROE?」が気になる。「FORT BELVOIR」には陸軍基地があるんですけど、調べ方が悪いのでしょう💦

これも消印が甘く恐らく「PHILADELPHIA(フィラデルフィア)」かな?と思うのですが、翌日の1898年8月25日に「TRANSIT(トランジット)」の文字があることから中継印

東海岸から西海岸へ4日後の1898年8月29日にサンフランシスコに到着


太平洋を24日間かけて1898年9月22日(明治31年9月22日)東京に到着してます。
単にシンシナティに載って東海岸から太平洋を渡って日本に届いた不足料カバーじゃん!と着地しそうなんですが、もう少し深堀りしてみると、、、
このシンシナティなんですが、ウキペディアには「1898年5月末にシンシナティはオーバーホールのため入渠(にゅうきょ)し、8月に占領任務のためカリブ海に戻る」と掲載されており、また、Naval History and Heritage CommandThe Sextant のUSS Cincinnati (C-7)ページにも「At the close of May 1898, USS Cincinnati (C-7) came north for repairs, returning to the Caribbean for occupation duty in August. 」と掲載されていることから1898年8月にカリブ海へ向かう途中にこのカバーが載っていたことが推測されます。
いずれのサイトにも、どこで修理したのは記載されていないこともあり、差出人の住所がニューヨークということから、シンシナティを建造されたニューヨーク海軍工廠で修理されたと推測されます。
この差出人名、中々の達筆で、、、読めん💦
日本人と思われるんですが、、、
推測域の仮設ですが、ニューヨーク海軍工廠からカリブ海へ向かう途中のシンシナティで、このカバーが差し出され、ヴァージニア州のどこかの港で引揚げされ(1898年当時、ノーフォーク海軍基地は無いです)引受後、フィラデルフィアからサンフランシスコへ、そして日本に到着ということなんですが、さて、ニューヨーク海軍工廠からカリブ海へ向かう途中で差し出すことが出来るのもスゴイと思うんですが、この受取人も気になりました。

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